東京の鍾乳洞「大岳鍾乳洞」 3

 大岳鍾乳洞へはバス停から林道大岳線を通って徒歩30分である。

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林道の入り口はこんな感じ。典型的な山あいの怪しい道路という感じである。熊の張り紙の一件もあって二の足を踏んでしまう。私と共にバス停で降りた人も鍾乳洞の方には向かわなかったようでこの先は一人ぼっちである。

 歩き始めるとすぐに向こうからトラックがやってきた。軽トラックではなく普通のトラックである。後で調べた感じでは十トントラックだろうか。この林道の向こうにトラックが入るような施設があると思っていなかったので驚いた。鍾乳洞以外何も無い、というわけでは無さそうだ。

 トラックとすれ違うとすぐに後ろから今度は軽トラックがやってきた。私を抜かすとそのまま奥へと進んでいく。

 私は一人取り残された。道には川が寄り添っている。

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 その川の流れる音、そして偶に森の中で響く鳥の鳴き声だけがこの道で私が聞ける音だった。私は京都の貴船神社の前にある道を思い出していた。あれも川沿いで山に向かって伸びている道だった。

 暑い。最初こそ道幅が狭く森の日陰が道路を覆ってくれていたが、最初の大きな曲がり角の向こうで川幅、道幅共に広くなり、日なたが多くなった。

 気分はあまり良く無かった。一人で道を歩く時の性ではあるが、周囲のことに過敏になっていた。熊の張り紙のせいでもあるだろうし、暑さのせいでもあるだろう。周囲で動くものが例え落ち葉であっても過度に気になった。何か出た時に頼る相手がいない、それだけでこんなに気を張るものか。

 一人ぼっちの道が長く続く。段々と心細くなる。本当にこの道で合っているのか不安になる。地図を読めばこの道しか無いと分かっているのだが、それでも不安になる。このまま何も無い所でぷっつりと途切れるのではないかとさえ思う。その考えを先程自分を追い抜いた軽トラックがまだ見えていないという事実が否定してくれるので私はなんとか前に進めた。

 体感的には三十分を超えていたが、実際には十五分以上は経っていないだろう。ようやく、一つの建物が見えた。

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隣に先ほどの軽トラックと思われる車が止まっている。久々の建物で、かつ無人では無さそうだったのは私の心を勇気づけた。ようやく一旦は孤独から開放されそうだった。


 突然、山側から音がした。見ると、山側の壁から何かが山側にあった側溝へと落ちた。赤と黒の物体。それは、クネクネと動き側溝を奥の方へと動いた。ヘビだ。

 私はそれを認識した瞬間本能的に後ろへと数歩駆け出していた。ヘビはテレビで見たり水槽に入っているものを見る分には苦手では無いが、自然の中にいるものはダメだった。頭が危険だと認識してしまう。それは昔田舎に住んでいた時から変わっていなかった。

 私が林道に入ってからここまで持ってきていた緊張の糸はここで切れてしまった。熊が出る「かもしれない」道への不安はヘビが「出る」道への恐怖に変わった。私はここで初めて回れ右してバス停まで戻りたいと思った。しかし、戻るとしてもまたあの一人ぼっちの林道を戻ることになる。その途中またヘビが出ないとも限らないし、私は歩みを進めることにした。幸い、ヘビがいる側溝は30センチほどの深さがある。ヘビがそこを乗り越えて路上に出ることはおそらく無いだろう。


 先ほどから見えていた施設の前に到着。会社名は不明だが、看板によれば「大岳工場」というらしい。何の工場かは分からなかったが、建物の向かいの山が削れていることを見れば予想はついた。

 この辺りの地層は石灰岩質である。そもそも鍾乳洞は石灰岩にしか成立しない。山を挟んで向こう側の奥多摩の方には石灰岩の露天掘り鉱山があるし、これもそれに類するものだろう。石灰岩は建築資材として使われるし、採石場ということか。

 建物の前には看板が一つ。要約すれば「大岳鍾乳洞行く人は道わかりづらいけどトンネルを通って下さいね」ということである。大岳鍾乳洞の名前を林道に入ってから見たのはこれが初めてである。心配症の私はここまで来てようやく道が間違っていないことを確信した。

 建物の前を通り過ぎて更に進む。建物の中には3人ほどの人がいた。わずか20分ぶり程度だが、随分と久々に人間に会ったような気がした。

 ここで一台の車が私を追い抜いた。今度追い抜いたのは乗用車。中には家族四人が乗っていた。大岳鍾乳洞へと向かうのだろう。「相乗りしたい」と私は思った。恐怖によって私はすっかり疲労困憊だった。その車は熊への恐怖も無ければヘビとも遭遇していないのだと考えると羨ましかった。そして文明の利器のなんと素早いことか。私が一歩一歩踏みしめる道をすぐに通り過ぎていく。

 先に大岳工場の所で見た看板のいう「トンネル」はすぐにやってきた。が、最初にそれを見た時私は絶句した。

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 明らかに歪んだ坑口に外壁の錆びた金属。廃鉱山の坑道と言われても信じてしまいそうな有様だ。普通の道ではまず有り得ないこんなトンネルがあるのはこの道が林道であることが関係しているのかも知れない。中がカーブしていて直接出口が見えないのが余計に恐怖を煽る。

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 中は外側の見た目に比べればまともである。錆び錆びではあるもののしっかりとした構造だ。無人と化したバラックでよく見かけるような色の落ちた青色のトタンは少し気になったが。長さもそこまで長い訳でもなく左から光が入るので怖さは全く無かった。トンネルの中では山側からヘビが落ちてくる心配も無いのもありがたかった。

 余談だが、看板には「トンネル」と書かれていたこの施設だが、厳密に言えばトンネルではない。落石覆い(ロックシェッドとも)である。左側が地山ではないのがその理由である。現地で落石覆いの銘板を見逃したのが悔やまれる。

 落石覆いを抜けるとどこかで一度無くなっていた道の舗装が復活していた。そして羽虫の如くブンブンとでかい虫が何匹も飛び回っていた。蜂や虻などではないから危害を加えてくることは無いとは思ったが、大きい虫が周りを飛び回る光景は嫌だったので足早にその場所を越えた。その虫で路上で死んでいた一匹を見る感じ、どうやら地味な蛾か何かのようだった。

 また、山側でガサッと音がした。またヘビか、と思ってそちらを向くと、今度は何かが山側の壁を登っていった。一瞬しか見なかったが小さい体と灰色の体はおそらくイモリであろう。イモリなら害は無いし見慣れているので平気だった。でも音がするだけでビクビクものである。

 川幅が広くなり、河原にキャンプ場が現れた。大岳鍾乳洞併設の大岳キャンプ場だ。大岳鍾乳洞が近くなったことが明確に示されて私はようやく安堵する。精神的に酷く疲れた。まだここから更に帰路があることを考えると心が重い。

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 大岳鍾乳洞に到着。ようやく、である。前に私を追い抜いた車はいない。更に上の滝の方へと行ったのだろうか。その他にも誰もいなかった。