都内の貨物線沿いをゆく 3

 越中島支線は終点まで辿った。が、最初に述べたようにここから先には廃線跡がある。最後に軽くこの先を辿ってみる。

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 越中島貨物駅から少し伸びた線路はここで車止めを迎える。ここが、現在の越中島支線の本当の終点である。

 その先は廃線跡が金網で囲まれただけでそのまま残っている。再開発の用地とはまだなっていないようだった。

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 ここでは線路の両脇がホームのようになっている。越中島貨物駅と近すぎるような気もするが、ここでも荷物を扱っていたのかもしれない。ここはほぼ手つかずのようで、レールがそのまま残っているのが肉眼で確認できた。

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 その向こう、道路の反対は藪が刈り払われ、レールも撤去されてだだっ広い原っぱになっていた。ここまで準備ができているなら再開発でマンションでも建てればいいような気はするのだが、その気配は無い。土地の売買が上手くいっていないのかもしれない

 この先、越中島支線改め東京都港湾局専用線が運河を渡ると、その跡を追うのは難しくなる。線路があったところに平然とマンションが存在してしまう。

 しかし、豊洲を抜けたところにある晴海橋梁は東京都港湾局の廃線跡の中で最も重要な遺構だ。運河の上ということもあり再開発のあおりは喰らわず、そのままの姿で現在も残っている。

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 晴海橋梁は見ての通り単線非電化の廃橋である。中央にだけアーチが存在し、そのアーチはひどく錆びている。線路は残っており、その上に雑草が生い茂っている。かなり状態のいい廃線跡だろう。

   線路の陸地との接続部は金網で塞がれており、また並行する道路は車、歩行者共に通行量が多いため侵入することは現実的ではない。そもそも立ち入り禁止なのだが。遊歩道にする計画もあるようだが、現在は廃橋の上を歩くことはできない。

   晴海橋梁を渡ると、港湾局専用線は晴海の貨物駅に入っていた。現在も一部その用地跡が残っている。

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晴海橋梁は単線だったが貨物駅跡の用地は広大で、複線かそれ以上に構内で分岐していたのだろうと考えられる。

 これより先に港湾局の遺構は存在しない。元は線路のあった場所を道路に転用する、という廃線跡にありがちな道が残るのみである。その道を少し辿り、私は今日の小旅行を終わりとした。


都内の貨物線沿いを行く 2

 小名木川を渡り、再び越中島貨物線沿いを行く。ダイヤを考えればもう列車は来ないことは分かっているが、線路沿いというだけで楽しいものである。途中、「南砂線路公園」という児童遊園のようなところに入り、線路がかなり近づく。この距離で通る機関車を眺めるのも面白そうである。

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 ところで、この公園はおそらく近隣の子供達の遊び場となっているだろうが、果たして彼らはこの線路のことをどう思っているのだろうか。彼らはごく稀に脇を抜けていくディーゼル機関車をどんな目で見ているのだろう。なんとなくそんなことが気になった。

 さて、南砂線路公園が終わると、葛西橋通りにぶち当たる。

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 この通りはかなり交通量の激しい通りである。越中島貨物線はこの通りと踏切で交差するわけだが、数少ない列車が通る際にはちょっとした渋滞が起きるだろう。特に千葉側はすぐそこに交差点があり、信号は青なのに前に進めない、あるいは信号は青なのに葛西橋通りへ右折または左折できない、といった出来事が起きるはずだ。ただでさえ交通量の多いこの通りでのその混乱は一度見てみたいものである。

 葛西橋通りを越えると線路沿いの道は無くなる。仕方がないので線路に一番近い通りである明治通りを進む。

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 永代通り越中島貨物線の交差する踏切。永代通り葛西橋通りに負けず劣らず交通量の多い通りであり、やはりこちらも混雑が起きるのではないだろうか。 

 永代通りを越えると、周囲がいきなり倉庫街へと変貌する。マンションは一気に減って物流センターの建物が増える。急激な変化と言っていい。

 越中島貨物線は、明治通りが右へ曲がるのと同じように右へ曲がるとそのまま越中島貨物駅の方へと進んでいく。明治通りはこの後進路を戻して新木場の方へと進んでいくため私はここで右折して塩浜通りに入る。

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 この向こうが越中島貨物駅であるが、ここから先は貨物駅の構内であるため警備員がいて入れない。ということでとりあえず塩浜通りをこのまま進む。

 すると現れるのは東京メトロの深川検車区である。東京メトロ東西線の車庫でもある。この広大な車庫の奥が越中島貨物駅である。

 越中島貨物駅の様子を伺うためには跨線橋を渡る必要がある……のだが、その跨線橋まで向かうのはなんと三層のループ橋(階段もある)である。

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 ループ橋は狭い場所で高度を稼ぐ際に用いられる手法で、レインボーブリッジの竹芝側や河津七滝ループ橋なんかが有名であるが、三層というのは珍しい。自転車または歩行者用のこの橋はループの半径を車道のループ橋より小さくできたためその分立体的になったという事情はあるだろうが面白い橋である。

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 橋の上より越中島貨物駅を望む。この写真の奥の方が越中島貨物駅である。また、その脇では新木場、潮見方面からやってきた京葉線が地下に潜る。京葉線はここから終点の東京駅まで地下だ。

 この後は東京都港湾局専用線廃線跡を辿ることのする。

都内の貨物線沿いをゆく

東京駅から一番近いJRの非電化路線は何線か?

 こういう問いをリアルでもネット上でも何度かしたことがある。

 この問いはひっかけ問題で、予想される解答は久留里線八高線だが、それらの路線は正解ではない。

 ではどこか。ずるい話ではあるが、この問題の対象には私たちが乗れない貨物線も含まれている。答えはJR東日本の貨物路線である「越中島支線」なのだ。

 越中島支線は小岩駅越中島貨物駅を結ぶ貨物路線である。といっても貨物輸送はほとんど行われてなく、廃線だと書いているサイトもあった(実際はレール輸送が行われているので廃線ではない)

 また、越中島貨物駅の向こうには東京都港湾局の専用線豊洲や晴海まで伸びていた。そちらは現在では完全な廃線のなっている。

 私はこの都民にもあまり馴染みの無い路線の沿線を辿り、ついでにその向こうにある東京都港湾局専用線廃線跡にも足を伸ばした。その様子をお伝えする。なお、下の地図がこの二つの路線の図である。私の通った道も概ねこの路線沿いになる。

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 その日、私が越中島支線(下越中島貨物線と呼びます)を追い始めたのは都営新宿線の西大島の駅前からだった。亀戸駅から西大島駅までの短い区間は以前に歩いたことがあるためである。

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 都営新宿線とほぼ並走する新大橋通りを越える越中島貨物線の橋桁。非電化路線のため橋桁の上に架線は無い。普段電化路線を見慣れていればこの風景には少し違和感を感じる。

 ここから私は越中島貨物線沿いに南下する。貨物線はこの区間で周囲の道路より一段高い土手を走っている。作られたのが近年であれば高架になっていただろうが、1929年開通と歴史はそれなりに古く、高架化するほどの意味も見出されないのか土手のままである。その土手は架線が無いこともあり、一見すると一級河川の堤防のようである。

 貨物線沿いの道は通りにぶつかって消え、私は少し遠くの道をゆく。その道もすぐに小名木川にぶつかって行き止まりになる。

 当然ながら貨物線も小名木川を橋で渡る。私が以前読んだ本ではその橋を見所の一つに挙げていた。私はその小名木川橋梁を見に行く。

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 これが小名木川橋梁である。何の変哲も無いトラス構造の橋であるが、錆が目立つ。そこそこの古さを持つ橋であるから当然かもしれないが。

 私はここを通る機関車を撮ろうと思い、スマホでダイヤを調べる。すると丁度良く20分後にダイヤ上では列車が来ることが分かった。越中島貨物駅から新小岩へと向かう運用だ。

 ただし、本当に来るかは運任せであった。というのも、この越中島貨物線は不定期運行なのである。時刻表に載っている全ての列車が運行される日もあれば、一本も来ない日もある。そんなわけで、私は祈りながら日差しを避けるために小名木川橋梁の下に待機した。その次の列車まではとても待っていられない。これが今日写真を撮るなら最初で最後のチャンスだった。

 列車が越中島貨物駅を発車するという時間になって私は橋の下から出た。アングルを少しだけ考える。

 警笛の音が聞こえてきた。一瞬聞き間違いを疑うが、機関車特有の空気の混じったような音の警笛に間違いなかった。スマホのカメラを開くと、機関車が見えてきた。

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オレンジ色のディーゼル機関車DE10形である。ゆっくりと小名木川橋梁を通ると、その後スピードを上げて私が堤防のようだと感じた土手の上を駆け抜けていった。

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その奥にはマンションが並ぶため、植物がおいしげる土手の上を走るディーゼル機関車とのミスマッチが面白かった。

 さて、写真を撮り終え、次の列車の時間までいるのは現実的ではない。私にはもうここで満足して帰宅するという選択肢もあった。しかし、折角なので越中島貨物線の残りの区間もその線路沿いを歩いてみることにした。とりあえず小名木川を渡るために一旦貨物線とは離れる。

東京の鍾乳洞「大岳鍾乳洞」 8

 昼食を終え、レストランを出る。次に向かうのは外にあるお土産屋、物産販売所 朝霧。先程撮っていたバスの時間も考えて、今回はお風呂に入ることはパスする(バスタオルも買わないといけなかった)。また来る機会があれば入りたいものである。

 お土産屋で売っているのは生の野菜、土地のお菓子から小物に至るまで。よくある土産物屋という感じである。

 私はここに自身の土産だけでなく友人への土産も買いに来ている。ただし、その友人(二人いる)への土産はさながら大喜利のようになっている。私のTwitterアイコンになっているほうとうドロップも山梨へ行った際に二人へのお土産に買ったものだ(ちなみに、その返礼はディズニーの可愛いキャラのプリントされたチョコチップクッキーだった)。友人によれば、「思ったよりもほうとうの味がした」らしい。

 で、今回も当然そういったネタ土産を探す。しかし、めぼしいネタ土産は無い。当初考えていたのは「高級ふ菓子」。内容量がかなり多い上に「ふ菓子に高級ってなんだよ」と思った為だが、普通に食べて美味しいだろうし、ネタとしてはつまらなかった。

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 お?

 これにしよう(悪い笑み)。しょうゆチョコレート。全く味の想像がつかない。ゲテモノ臭がして、とても面白い。いや不味いということは無いだろうが、中々インパクトの大きい土産である。

 私はしょうゆチョコレートと自分用にくるみゆべしを買ってお土産屋を後にする。いい時間なのでバス停を目指す。この施設から一番近いバス停は私が行きに使った「秋川渓谷 瀬音の湯」バス停だが、徒歩七分の十里木バス停の方にもバスは通っている。そちらを通るバスの方が本数は多いので、そちらへ向けて歩く。

 途中、橋で秋川を渡る。上流側には木々が迫り出していてあたかも秘境のような雰囲気を醸し出していた(実際は川に沿って檜原街道が通っている為秘境では無い)下流側では青年達が5メートルはあろうかという巨石から川へと飛び込んで勇気を誇っていた。

 十里木は街道沿いのバス停である。檜原街道はかなり車通りの多い道であった。都内一の秘境とも言える檜原村へと向かう道であるが、私の中での檜原村の都会度を上方修正させた(もちろんこの車のほとんどが檜原村には行かない、という可能性もあるにはあるが)

 バスがやってくる。中には少なくない人数の人が乗っている。このまま武蔵五日市駅まで向かう。

 武蔵五日市駅に到着。これ以上行こうと思う所もないので、帰宅を開始する。まず改札の方に向かい次の五日市線の時間を確認する。次の拝島行きまでまだあと二十分ほど時間があった。ならば、と行きに目をつけていた八王子駅行きのバスの時間を確かめる。これに乗ると八王子から中央線一本で東京駅まで帰れる。五日市線の場合は乗り換えが最大二回必要なのでこっちの方がいい場合もあった。

 が、残念なことにバスの時間は合わなかった。仕方ないので五日市線で帰ることにする。拝島行きの発車までの間、駅の中で先程買ったくるみゆべしを食べる。モチモチとした食感とくるみのアクセントが相まって美味しい。あまり普段は食べないが、旅先で見るとよく食べている。

 五日市線で拝島へ。学校も再開したのだろう、学生が多く乗ってきた。拝島からは丁度よく青梅快速東京行きがあるのでそれに乗る。東京駅まで一本だ。

 立川で中央特快の東京行きと接続するが、既に疲れている私はそのまま青梅快速に乗り続ける。急いで帰る理由も無いし、このまま座って帰りたかった。

 東京駅に到着。ここから家への帰路についた。

東京の鍾乳洞「大岳鍾乳洞」 7

f:id:MitoNanadai:20200623205729j:plain   秋川渓谷 瀬音の湯」は武蔵五日市〜上養沢のバス路線が施設の前まで行っている。私はそこで降りる。

 何は無くともまずお昼だ。中へ入り、入浴施設の入口を素通りして一番奥のレストランへ向かう。

 メニューはカレーや蕎麦など。私は旅先では蕎麦を頼むことが多い。蕎麦なら基本外れは少ないからだ。

 私は天ぷらとろろそばを頼む。飲み物はセルフサービス。ほうじ茶や麦茶、緑茶などいくつかの種類があったので麦茶を入れる。麦茶が美味しいので私は何度かお代わりをしたが、飲み物を入れる場所から遠い所に座っていた為にお代わりの度に多少歩く羽目になった。


 そばがやってくる。天ぷらはナス、レンコン、舞茸、オクラ。天ぷらを食べる場合はどれから食べるか結構悩むが、今回はオクラレンコンナス舞茸の順で食べた。どれも衣がサクッとしていて美味しい。そばをつゆの味が濃い目だった。暑い外を動き回った体に冷たい蕎麦は抜群だった。

東京の鍾乳洞「大岳鍾乳洞」 6

 引き続き私は大岳鍾乳洞入り口バス停付近にいる。まだバスまでは時間があるので、隣のバス停である上養沢バス停まで歩くことにする。看板曰く100メートルの距離である。

 途中、猫を見かけた。

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 すっかり山奥にいる気分だが、民家も多いし、そうでも無いのかも知れない。ただし、余所者は珍しいのか、その猫は警戒心丸出しの顔でこちらを見ていた。

 上養沢バス停に到着。本当に100メートルくらいしか無い。都バスでももう少しバス停の間に間隔がある。周囲には民家も多い。道は更に山の上の方へと続いていて、頻繁に上の方から車が降りてきていた。

 バス停には看板があった。

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 この地図を見ると武蔵五日市から檜原村の方がいかに山あいを縫って町があるか分かる。

 ところで、個人的に気になったのは上養沢の上に「ロックガーデン」と書いてあること。

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このロックガーデンは御嶽山の近くにある景勝地で、以前御嶽山(わざわざケーブルカーを使わず急勾配の都道を通って)登山した際に通っている。ということは、上養沢から尾根を越えて御嶽山の方に出るということが可能なのだろう。今度やってみようかと思案する。木の標識によれば御嶽山までは11キロ。

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途中ケーブルカーも使えるわけだし、私が歩けない距離では無さそうだ。

 バスが来た。バス停に待つのは自分一人。ハイキングをする上で、バスの本数から上養沢はスタート地点にはなってもゴール地点にはなりにくい。ハイキングの為に降りる人はいても、ハイキング終わった後乗る人は少なそうだ。

 さて、バス停を出た時点で時間は110分。昼飯の時間だ。私は行きに目をつけていた施設の情報をスマホで確認すると、そこでバスを降りることにする。

 その施設とは「秋川渓谷 瀬音の湯」という温泉施設。秋川沿いにある施設で、それだけでなくお土産や食事も取れるそうなので、そこに行くことにした。

東京の鍾乳洞「大岳鍾乳洞」 5

 バスまでが来るまでは時間があったので、日陰でスマホを弄る。調べたのはさっき見かけたヘビの種類だ。知ってどうこうということは無いが、単純に気になった。

 調べた結果、本州に棲むヘビで体色に赤色を持つのは一種類のヘビだけだった。ヤマカガシである。有毒ヘビだ。

 それを知って、私は二つの幸運に感謝した。一つは、死亡例もある毒ヘビのヤマカガシが路上ではなく側溝に落ちたこと。お陰で噛まれなくて済んだ。

 もう一つは、私がそのヘビがヤマカガシだと知らなかったことである。もし予備知識によりそのヘビがヤマカガシだと分かっていたら、私は確実にそこで引き返していた。それくらい当時の私は精神的にはギリギリだった。しかし、私が側溝でヤマカガシに遭遇した時知っていたのは「日本には有毒のヘビより無毒なヘビの方が断然多く、毒を持ったヘビは本州には二種類(マムシとヤマカガシ)しかいない」ということだった。まさかその二種類のうち片方だとは考えもしなかったが、お陰で「噛まれても(確率的には)大丈夫」と考え先へ進めたのだ。生半可な知識が良い方に働いた。

 私は脱力し、「もう二度と歩いて行かねえ」と思った。次行く時は誰かの車に相乗りする時だ。それくらい精神的には辛い場所だった。ヘビに慣れてたりする田舎暮らしの人にはどうってことない道だろうが、私は世界有数の大都会東京で人生の3分の2を過ごしている。過去には田舎暮らしの時期もあったが、その日々は記憶の彼方である。





 この辺りで、大岳鍾乳洞について簡単にまとめようと思う。旅の候補とする際に参考にしてもらいたい。


 まずアクセス面について。私は今回公共交通機関を用いてやってきたが、個人的には自家用車で来る方が良いと思われる。

 まず一つに、バスの本数があまり多くない。一日9往復は山間部の路線としては多いが、間隔は30分から2時間半まで開きがある。もし帰りのバスの時間と合わなくても、大岳鍾乳洞入り口のバス停付近に時間を潰せる施設は無い。裏技としてタクシーという手もあるが、かなりの出費になる。

 また、大岳鍾乳洞までの林道も山道の為健脚向けとまでは言わないが足に自信の無い人にはお勧めしない。道自体も夏は暑く、冬は寒くなるだろう。六月の時点で既にかなり暑かった。避暑地として需要の高まる夏本番は熱中症に注意が必要だろう。

 また、自家用車で行く場合は近くの三ツ合鍾乳洞にも寄ることで鍾乳洞をはしごすることも可能である(徒歩だと三ツ合もバス停から遠いのであまり現実的では無い)。大岳鍾乳洞の上にある大滝も徒歩なら鍾乳洞から三十分かかるが、車なら大幅な時間短縮ができる。

 一方、自家用車で行く場合も注意点がある。大岳鍾乳洞へ向かう林道は舗装釜ギリギリ二車線程度しかない。明かり区間であれば一応舗装の両脇には余裕があるので舗装をはみ出してすれ違えるが、例のトンネルの中はその余裕が無い。その際には慎重なドライビングテクニックが必要と思われる(免許持ってない人間の戯言)


 観光地としての内容であるが、これは「そこそこ」といったところ。現地の看板にも「小規模」とあるように、普段私たちが想像するような鍾乳石のある部分は少ない。なので、それを想像して入ると拍子抜けするかもしれない。しかし、著名な鍾乳洞はその多くが東京より離れた場所にあるが、ここであれば日帰りの観光も可能だというアドバンテージがある。鍾乳洞初心者が「体験」をするには最適の場所ではないだろうか。既に鍾乳洞を見たことのある人には物足りないかもしれない。


 最後に、ある意味観光地を選ぶ際に重要な基準ともなる混雑具合も推測したいが、今回は無理である。そもそもコロナがあって県外からの観光客が殆どいない上に同じ都内の鍾乳洞である日原鍾乳洞が昨年の台風の影響で休業中で、客観的な判断ができない。が、立地的には無茶苦茶混む、といったことは無いだろう。混むとしても穴場スポットの範疇がら抜けるほど混むことは無さそうだ。